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『自分史 part1』 本田ルーカス剛史 | LAKES MAGAZINE WEB - lakesmagazine.jp

2020.09.29

『自分史 part1』 本田ルーカス剛史

自分史!

こんにちは!
木下アカデミー所属でフィギュアスケートをしている、本田ルーカス剛史です。

今月からは、およそ10年間続けている自分のスケート人生について振り返って書きたいと思います!
これも何回かに渡って書いて行きますが、これまで書いてきたエッセイと被る部分も所々あると思います!ご了承の程宜しくお願いします🙇🏻‍♂️

〜6歳、スケートと出会う〜

 幼なじみの友達のお母さんに連れていってもらい、ポートアイランドのスケートリンクにて初めて滑りました。この日味わった、不思議な感覚はいまでもはっきり覚えています。それから半年くらいは一般営業に遊びに行ったり、習い事の一つとしてスケート教室に入ったり、というような感じでした。氷の上では基本的に遊んでいて、その頃は「新しい転け方!」と言って、もはや何を目指してるのかわからないような遊び方もしていました。
 そしてその後、何がどうなったのかはっきり覚えてないですが、浪速のリンクで山下艶子先生が教える教室に入っていました。そこから僕の本格的なスケート人生が始まりました。

〜スケート人生の始まり始まり〜

 山下先生の元で、少しずつ練習が始まりました。初級に合格し、貸し切り練習もスタートし、朝練(6:15〜)や学校が終わってからの練習に入り、初めての曲をもらい、練習し始めるようになりました。

 当時教わっていた山下先生について、少し書きたいと思います。
 その昔、フィギュアスケートには「コンパルソリー」というものがありました。ある既定の図形をどれだけ正確に描けるかを競いますが、これは何をやるにしても、足の重心を置く場所、動作のすべての基本になり、フィギュアスケートの「フィギュア」の由来もここから来るので、この競技の基盤になっています。山下先生はこの練習を大事に指導していました。大きな動きも無く、地味な練習ですが、たくさんやらされ、当時落ち着きがなかった僕はよく叱られながら練習していました。しかしその指導のおかげで、今ではスケーティングを褒めてもらえることも多く、僕のスケートのスタイルを作ってくださった山下先生には本当に感謝しています。

〜初めての試合〜

 初級に合格したおよそ3ヶ月後、初めての大会、京都で行われた「全関西フィギュアスケート選手権大会」に出場しました。曲は「カルメン」から「闘牛士」。落ち着きが無いとよく怒られていた僕にはぴったりの曲だったと思います。
 いざ当日、初めてのことだらけで、しかも緊張もありうろちょろしていた僕は、その日も大人しくしなさいと怒られていました。そんな中でもなんとか試合は運び、そのカテゴリーでは5人中2位になれました。初めての試合は旧採点システムというのもあり、全くルールも理解していませんでしたが、悔しい思いをして終わったのを覚えています。
 「次の試合では絶対負けない」と、その次の試合までのおよそ3ヶ月、自分の中でかなり一生懸命練習し、2回転ジャンプが跳べるようになりました。
 練習の成果もあり、2回目の大会、滋賀で行われた「西日本中小学生大会」では優勝することができました。短期間で甘いかもしれませんが、「頑張ったら報われる」ということを実感できた試合だったと思います。

 今回は初めて滑った日〜小3ぐらいについてまで書きました!次回では小4〜中1頃について書きたいと思います!お楽しみに!
 長文読んでいただき、ありがとうございました!

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September 29, 2020 at 09:48AM
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